○●吸血鬼のネーミングについて○○●○


吸血鬼といってまず思い出すのは、一体どの吸血鬼なんでしょうか?

そう!!
やっぱり何といっても、吸血鬼ドラキュラ伯爵でしょう

ブラム・ストーカー原作「吸血鬼ドラキュラ」は
おそらく一番名の知れた吸血鬼小説なのではないでしょうか?

長身で痩躯、真紅の裏地の黒マントを颯爽と翻す吸血貴族ドラキュラは
やはり印象的な吸血鬼ですよね

作者のブラム・ストーカーは、若き頃から演劇批評家として頭角を現していたのですが
その延長上で名優ヘンリー・アーヴィングと出会います
その出会いは、後の彼の運命を大きく変えたのです

ブラム・ストーカーは、ヘンリー・アーヴィングの片腕となって劇団経営の全てを
切り盛りしていたのですが、そこでアーヴィングの芝居を見に来た高名な学者と出会うのです

その学者、ハンガリー出身の旅行家で大学教授のアルミニウス・ヴァーンベーリ
ヨーロッパ各地の民間伝承に非常に精通している人物でした

この博学の士によって、ブラム・ストーカーはトランシルヴァニアの伝説を知ることとなったのです


また、ブラム・ストーカーはもう一つの運命的な出会いをします
ジョセフ・シェリダン・レ・ファニュの書いた「吸血鬼カーミラ」です
この小説を読んだブラム・ストーカーは大いに感銘を受け、自分もいつか吸血鬼小説の大傑作を
書いてやろうと決意したのです

こうしてヴァーンベーリ教授によって着想を得たブラム・ストーカーは、忙しい劇団経営の合間に
世界各地に取材をすすめ、1897年「吸血鬼ドラキュラ」を完成させることとなるのです


吸血鬼というと、「ドラキュラ」・「カーミラ」と並び称されるのが、ジェームズ・マルコム・ライマー
書いた「吸血鬼ヴァーニー」でしょう

19世紀恐怖小説の中でも、一際エンターテインメント性を高く評価されている幻の傑作作品です



吸血鬼小説の元祖であるとも言われる「吸血鬼」も忘れてはならないでしょう
ジョン・ポリドリの書いた「吸血鬼」は、元々は詩人バイロン卿が
書いた怪談の断章(未完)したものを、彼の主治医であったジョン・ポリドリが完成させたものでした

バイロン卿の同じ断章から、メアリー・ジョンはかの有名な「フランケンシュタイン」を発表しているのも
非常に興味深い事実です

バイロン卿の断章が、いかに素晴らしかったかが伺えますね


文豪アレクサンドル・デュマは、ポリドリの「吸血鬼」を元にした戯曲「吸血鬼」を
マケーとの合作で発表しています

かの有名な吸血鬼ルスヴン卿も登場するその戯曲は、シャルル・ノディエの「吸血鬼」のリヴァイヴァル
ともいえる作品で、五幕十場の幻想劇と銘打たれたすばらしい劇でした

またデュマは、「蒼白の貴婦人」というカルパチアの吸血鬼小説も書いています

女性主人公が、お互いに憎しみあう異母兄弟である二人の城主から愛されることによって生まれる悲劇は
まさにゴシック・ホラーの集大成といえるでしょう



世界で最初の私立探偵である、オーギュスト・デュパンをこの世に生み出した
エドガー・アラン・ポーも 忘れてはいけませんね

彼の世界観はいつも生と死の狭間にあり、まさに吸血鬼を彷彿させます
「書物の王国 吸血鬼」にて、彼の作品「ベレニス」が紹介されているのも頷けるというものでしょう

彼の妻ヴァージニアはエドガーの実の従姉妹であり、13才の若さで
結婚したのは有名な話です

また、別冊少女コミックに連載された、萩尾望都の描く”ポーの一族”も、有名な吸血鬼漫画でしょう

主人公の名前エドガーとアラン、そして作品のタイトルからもわかるように、エドガー・アラン・ポーに
強く影響を受けている、少女マンガ最高傑作の作品の一つと言われる完成度の高い作品です




こうして見てみると、ボクタイDSの世界のヴァンパイヤやそれらに関する様々な事柄は、
実に様々な現代吸血鬼小説と 密接な関係があると考えられます


ですが、ここで一つの疑問が出てきます


今までのGBA版のヴァンパイアやイモータルとは、DS版は明らかに異質といえるのです
何故なら、過去の吸血鬼は主に神話の世界からのモチーフがその殆どだったからです

今回はどうして現代吸血鬼小説からの引用となったのでしょうか




ネタが尽きたから




確かに、そうなのかも知れません



ただ、ボクタイシリーズのディレクターで演出を手がけている中村如哉氏の様々な神話に対する知識量は、
今までの ボクタイシリーズを考察すればするほど凄まじいものであると容易に推察できます

神話のネタは、おそらくいつまでも尽きないといっても過言では無いのではないのでしょうか

ネタがもう尽きてしまったというのは、少し無理があるように思えます


それでは一体どういうワケなのでしょう

何故今回のボクタイDSは、神話からの引用ではないのでしょうか



飽きちゃったから



本当にそうでしょうか

本当に飽きてしまったのでしょうか


私はそうは思いません

それは、ボクタイDSが発売される2ヶ月前の氏の言葉に、すべてが集約されていると思うからなのです



〜すべては前作までを否定しないためです



そう、すべての設定は前作までを否定しないために・・・・・・・・・

今回のモチーフの変更も、何かしらの意味があると私には思われるのです


そこで、GBA版とDS版の大きな違いを検証してみると・・・・・・・・・・・・・・
と、ある一つのことを思い出すのです


GBA版とDS版の世界は、パラレルワールドであるという事実です


実際これは、公式ガイドコンプリートエディションにて明かされている事実なのですが
この本を見なくてもゲームをやった人がちゃんと気づくことができるような要素がいろいろと
ちりばめられているのではないかと私は考えているのです



つまり今回のこの明確な変更も、密かな裏設定であるパラレルワールドであることを
気づかせるための一つのギミックであると思われて仕方が無いのです


それは二つの世界のオテンコさまや二つの世界のひまわり娘、その他のギミックとともに

私たちにパラレルワールドであることを主張していると私は考えるのです



2007.2.05改稿 Hiralin

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